和漢の歴史

和漢の歴史

和漢は、遠くシルクロードを渡って大陸から到着した医術と薬が、長い年月を経て洗練・伝承され、「日本の薬」として確立された英知です。

生薬の伝来

推古天皇の薬狩り(イメージ)

〈推古天皇の薬狩り(イメージ)〉

仏教など他の大陸文化と同様に、朝鮮半島を経由して日本に中国医学や生薬が伝来したのは6世紀頃だと考えられています。

先進的な大陸の医学を積極的に導入したこの時代に、生薬は日本の中心地・飛鳥(現在の奈良県・明日香村周辺)にもたらされました。

『日本書紀』には飛鳥時代の女帝、推古天皇が我が国初の「薬狩り」を宮廷行事として実施したことが記されています。

寺院での治療薬の施しや、薬草園での生薬栽培も始まりました。

進む研究

〈正倉院(奈良県奈良市)〉

中国で興った中国伝統医学が本格的に日本へ「輸入」されてきたのは奈良時代からです。

735年(天平7年)には有名な鑑真(がんじん)和尚によって、仏教の教えとともに中国大陸からさらに多くの生薬が持ち込まれました。

国宝・正倉院に収められた生薬を記した『種々薬帳(しゅじゅやくちょう)』には、すでに60種類の生薬が記されており、約1250年前から活用されていた貴重な資料として残されています。

平安時代になると、中国医学や生薬は当時の知識階級層を中心に研究が進み、交通網の発達により生薬の原料をより広範囲から集めることが可能になりました。

984年(永観2年)には我が国最古の医学書『医心方(いしんほう)』30巻が、隋・唐の医療書を引用し丹波康頼(たんばのやすより)により編纂されました。

一方で、その広がりはまだ宮廷を中心にした一部の人々のものでした。

生薬の国内普及

仏教の布教活動とともに寺院に施薬院を設けての窮民救済が広がった鎌倉時代、東大寺の「奇応丸(きおうがん)」や西大寺の「豊心丹(ほうしんたん)」などの民間薬が普及するようになりました。

これらは渡航した僧により宋の医療技術や医薬書が数多く持ち帰られたことで生まれたものであり、その知識は後に家庭薬製造の参考となりました。

室町時代は戦乱が続いていましたが、大陸との交流はさらに活発となり、金・元からの医学の導入が活発になりました。

安土桃山時代の名医、曲直瀬道三(まなせ どうさん)は啓迪院(けいてきいん)という医学校を設立し、『啓迪集(けいてきしゅう)』など数多くの医学書を執筆し後進の指導に努めました。

民間では商工業の同業組合である「座」の発生とともに、寺社の門前町で薬業が商業的成功をおさめ、製薬業として成立していきます。

和漢医学の確立

御薬園(福島県会津若松市)

〈小石川植物園(東京都文京区)〉

江戸時代に入り世の中が安定するとともに、御薬園(薬草園)が開設され、生薬の採取と栽培が幕府より奨励されました。

漢方医学の発展により生薬の輸入が増え、幕府や諸大名の財政がひっ迫したことが原因ですが、これにより江戸の小石川御薬園(現在の小石川植物園)や京都・長崎に薬草園が創設され、尾張・南部などの諸藩にも開設され、研究が進みました。

一般では医薬(合わせ薬)が簡易的な治療薬として普及します。8代将軍徳川吉宗の頃には、各地の家伝薬が売薬として販売されるようになります。

配置薬業や行商が生まれ、大和売薬をはじめ富山売薬・近江の日野売薬・佐賀売薬など、配置員が全国各地を訪問し生薬の大衆化が進みました。

漢方医学は様々な学派が生まれ、江戸時代を通じ多角的な研究が進んだことで独自の発展を遂げ、日本独自の学問として定着・躍進しました。

近代以降

明治政府が西洋近代医学の導入を決めたことで、漢方医学を取り巻く環境は一変します。

西洋医学を基本とした医師国家試験に合格しなければ、医業開業の許可を与えないとする医師免許規則が制定されたことで、医師になるために漢方医学の勉強する必要が無くなり、和漢薬の活躍の場は減少していきます。

それに伴い、全国で栽培されていた和漢生薬も徐々に生産量を減らし、衰退していきましたが、薬剤師・薬種商などの努力により受け継がれてきました。

また、西洋医学を学んだ医師の中から漢方も学び実践する流派が現れ、少しずつ復興を遂げていきます。

21世紀からの新たな和漢へ

やがて21世紀に入ると、新たな機運が生まれました。

2001年に文部科学省が作成した大学医学部の教養ガイドラインに「和漢薬を概説できる」という一文が加わり、全国の大学で漢方医学に対する見直しが始まっています。

医学部・薬学部教育で漢方医学を積極的に取り入れる大学が増え、昨今の「セルフメディケーション」という言葉による自己管理の智慧のひとつとして、社会全体で見直されています。

現在、和漢生薬の生産は徐々に広がりを見せており、奈良県の大和当帰だけでなく、北海道では川芎(センキュウ)、岩手県では蘇葉(ソヨウ)が、群馬県では芍薬(シャクヤク)などが生産されています。
長い年月を経て、これらの生薬は自然と歴史が生み出した「現代日本人」のための和漢として確立され、未来へと伝承していくのです。

和漢生薬の生産地について